*2007*01*
27
Jan |
睦月雑感
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◆14日
『cafe Teco』6周年のアニバーサリー・パーティ(といいつつ、実は5周年だった。Yさんらしくて微笑ましい)。
『pop music』、『玉川上水』、『another song』、『big chief』…。漣さんがアコギとスティールギターをとっかえひっかえに、ポツポツと歌う。百年蔵効果だろうか、静かにノッているのが伝わってきて、こちらまで嬉しくなる。『big chief』はアルバムの中では細野さんが歌っているから、漣さんのヴォーカルというのはとても得した気分。ついまたビールを飲み過ぎる。
ラストは『私の青空』漣さんバージョン。SEで聞こえるジェット機とトランペットの音色は、ハワイにある基地のそばで偶然見かけた老人が吹いていたフレーズだという。軍用機がひっきりなしに飛んでいく空。老人がおもむろに吹き始めた『My Blue Heaven』。そのコントラスト。「親父の歌の中で唯一かも、好きな曲」という渡の十八番でもあり、漣さんはその曲に『wonderful world』然り、ある種のプロテストを忍ばせてもいる。
なんというか謙虚さを持った人が奏でる謙虚な音楽というものは、とてつもなく偉大だと思う。こういう音楽のことを普遍というのだろうな。わたしの中では“永遠”の音楽という位置づけだ。
この日はハハの誕生日だったので、この曲を勝手に捧げた。心の中でこっそりと。
◆23日
1月中旬までは、時がぼんやりと過ぎゆくままに、身を任せていた。おかげで我が家は今、常にきれいに片付けられているし、好きな音楽を聴きながら野菜スープなど料理を毎日作っていた。あまりの時間の緩さと心地よさに、このまま専業主婦になってしまえたら…と安易な妄想がよぎらなくもなかったが。わは。
そうこうしているうちに、新たな仕事の依頼がやって来た(ありがたやありがたや)。そして、その時間軸とは違うところに、今いちばん大切に思う仕事もどきがある。それはいまだ構想段階ではあるけれど、少しずつ輪郭が見えつつある。日々に流されることなく、素直な気持ちで慎重に、思いのままかたちにすること。それを叶えるという目標を、33歳最後の日に改めてきっちり心に刻む。
この日の昼間はその大事な取材がとてもいい具合に進んだので、夜はひとりふらりと南来へ。しばらくするとYさんがやって来て、その連れの方とも一緒になって楽しく飲む。ついでに、おこがましくも誕生日を迎えた瞬間、乾杯をしてもらった。幾つになってもいいな、こういうの。Yさん、クマールラムとEtt、ありがとう。最高の組み合わせですな。
◆24日
朝からお隣さんと一緒に塀のペンキ塗り。最初頭の中で思い描いていたのはブルーグレーだったけれど、流れでペパーミントグリーンに落ち着いた。なかなか夏の日にも似合いそうな爽やかないい色。しかし手首が痛い…。
夜は、前々から気になっていたアル・ゴアのドキュメンタリー映画『不都合な真実』を観る。専門的なリサーチの結果算出されたデータを基に、ゴアがスクリーンの中で、フィルムやグラフ、アニメーションを挿みながら普段世界各国で語ってきた講演をそのままに、温暖化がもたらすあらゆる真実を突きつけていくというもの。
今でも温暖化の影響によって、山岳氷河など世界の陸地を覆う氷が溶け出している。あと50年もすれば、地球全体の気温は1度上昇するという。たった1度と思うかもしれない気温の上昇は、北極圏の氷をすべて溶かし、溶けて増えた水は、世界全土に渡って高低差の少ない土地を海中に沈めていってしまう。先日のニュース23にゴア氏が出演していた時にも検証されていたが、日本も無論例外ではない。シミュレーションでは、隅田川の辺りから50kmの半径に渡ってすっかり土地が水没していた。そして、氷が無くなり溺れ死ぬ北極クマを例に、生態系をも今以上にどんどん狂わせていってしまうことになるのだろう。
映画を観て改めて、ここ数年の異常気象などと呼ばれる事態には温暖化が多因しているのだと納得させられた。“異常気象”なんてないに等しいのかも。それを作りだしているいちばんの原因は、二酸化炭素を増加させている私たち人間なのだ、と。映画はいたずらに観客の危機感をあおるような作り方はされていない…のだけれども、ひたひたと何かが迫ってくる感じだった。そうなった時に初めて「何かしなくちゃ」では、もう間に合わないところまで来ているのだよ、と。
映画の中でゴアは力強くこう言った。「これは経済発展の優先などといった政治的問題ではなく、あらゆる人間に関係する倫理的な問題である」。数年前に京都で行なわれた地球温暖化対策に世界をあげて取り組むための決議案、京都議定書にサインしなかったのは、アメリカとオーストラリアだった。日本は日本で、CO2排出率は世界で第4位という様である。
50年後。わたしは84歳。生きているか否かは神のみぞ知るところだが、自分の子どもや孫といった後世の人々が今の偏った豊かさの罰を押しつけることになるのは明らかだ。そうなってしまった時に、「わたし」は彼らに何と答えられるだろう。想像力の欠如、と罵られながら…。
私たちは私たちができる限りのことを、まずみんなで。省エネ家電に替えたり、ノーカーデイを作ったり、リサイクルに徹したり。何もしないよりも、すごくいい。だけど圧倒的に感じたのは、事が大きすぎて、やはりこの問題は国家レベルで早急に取り組むべきだということ。
地球がなくては何も、存在すらできるはずのない人間が、大事な地球を壊しているという恥ずかしい真実。わかっているのに認めようとしない先進国の理不尽さ。そして、この映画を観て真実を知った自分が自分らしくできることは何か、と考えている。
漠然とだけれど、これから少しずつ、環境や平和といった生き方に関わるテーマを、人を軸にして自分なりに取材してみたい。
『不都合な真実』
KBCシネマにて上映中
13
Jan |
洋酒天国な夜
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昨夜は〆切日にきっちり原稿を納め(当たり前…)、夕方からフィリピンへ短期留学する知人の壮行会に参加した。久々のすっきり気分に思わず調子が出てしまい、その後、気心の知れた仲間を連れて、スタンドバーとして生まれ変わった洋酒酒場『BEM』へおじゃました。
『回』さんの姉妹店である『BEM』は、大名のテムジン裏手にある路地裏の細道を縫うように入っていったところに、ひっそりと、けれど凛とした佇いでまさに個の存在感を放つ店である。中は10人ほどが立ち飲みできるカウンターがメインのシンプルな空間が広がり、カウンターの奥には、年代物も含め『回』同様にきちんとセレクトされた酒のボトルと、「洋酒天国」などのレア雑貨がさあらぬ顔をして整然と収まっている。支払いはキャッシュ、安めの価格設定でいて肴も旨し。しかも素晴らしいことに、バーにしてノー・チャージなのである。そうして昨夜もまた、スタッフOさんに説明を受けつつ、マルスやニッカといった地ウイスキーやアイリッシュものを試し試し、酔いどれの世界へ…。
店を出たのは当然のごとく午前様。ごきげんな足どりで、ご無沙汰しっぱなしだった『うまっつら』でおでんとビール。屋台とマスターの変わりない様子にホッとしながら、恋やら仕事やら政治やらどうでもいいような、よくないような話を延々と…。まぁ、酔っぱらうと本音が出やすくなって、みんな人が素直になれるようで気持ちのいいものだな。そして大概のことを憶えていないのも、またよし。
それから、Tが我が家にそのまま流れ、3人と1匹、川の字になってバッタリ就寝。今日は、香りのいいポンカンの皮を投げ込んだ昼風呂に優雅に入ったのでありました。
明日は取材などでもお世話になっている『cafe Teco』6周年のアニバーサリー・パーティへ。目当ては言わずもがな高田漣さんなのだが、キセルのライヴ、山田広野さんの活弁も楽しみである。そして何よりも、6年間懸命に突っ走ってきたTecoさんに、おめでとうの言葉を届けよう。
11
Jan |
日々、過ぎ去りし
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一昨日あんなに誓ったというのに、昨日はソラからの早朝ごはん攻撃がなかったため、な、なんと昼過ぎに起床…誰にだか知らないが、罪悪感。そんなわけで起きて早々、ヴァンサンの「月曜日のブログ」の翻訳に取りかかる。そのまま翌日のアポを取り、なんとなく気が抜けた後、自転車で挨拶がてら請求書を出しにイベンターさんのところへ行き、初校確認の原稿を渡しに薬院界隈の飲食店へ。帰りに我が愛しの「回」に立ち寄りたかったが、懐寂しく泣く泣く断念…。しかし、ともかくは、すっきり。
そして、今日も昼前ギリギリの起床。どうもタイマーがうまく働かなかった様子。タイマーのせいにするわけじゃないけれど…。有言実行という言葉があるが、わたしの場合、有言不実行のなんと多いことか。とどのつまり、理想だけは素晴らしく掲げているがムニャムニャ…なのである。そんなことじゃ、いかーん!
というわけで、取材や確認諸々を済ませて明日〆切のインタビュー原稿を今夜中にまとめたい。今日は禁酒。
写真は、回の近くにあった老舗バー。その昔、中洲から移転してきたという店の粋な装いに惹かれ、いつか行ってみたいと思っていたものの、昨年、残念なことに閉店。きっと蝶ネクタイを締めた白髪混じりのマスターが迎えてくれたのだろうな、年代物の旨いウイスキーを飲めたはず、などと想像するも、かえすがえすも惜しい…。
09
Jan |
人は鏡
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最近はもっぱら、リンゴをただそのまんま焼いたやつと風呂での読書(音読)に凝っている。今日は、日々の感懐について述べられた文庫本を読む。和柄の扉が綺麗でいて、さらに中身の文章は贅肉が削ぎ落ちたかのごとくすっきりとして美しい。読み進むと、その中の一節に目が留まった。
「多くの人間とふれあう機会を持つ人々は、その度ごとに自分自身を新たに見直すことができるはずで、自分を失うどころか、豊かにする可能性に恵まれているのではなかろうか」。いい面は素直に受け入れ、癪にさわる面なども捉えようによって善知識と成りうる。「人は鏡」である、と。
確かに自分自身、人と会う回数が多い職業なので時として億劫になることも少なくない。けれど、筆者が語っていることは常日頃感じている芯の部分であり、中にはもう二度と会わない人もいれば、それを機に親しい付き合いに発展することもままある。自分と人がふれあって、どんな風に感動的に発色できるか。人と接する時にはいつも、そんなイメージを意識して保てればいいなと思う。そして、それはどんな形であってもいつか自分に返ってくるというから。
さ、正月ぼけの怠け心をそろそろ正そうではないか、わたし。
08
Jan |
大吉と酒
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ここ数日、寝過ぎている。合計すると一日平均10時間以上はソラとだらだら寝しているであろう。そのせいかアルコールを飲むと少々頭痛がする。寝不足しかり、寝過ぎも良くないというし、明日からきちんと起きたいところ。とはいえ、ソラからのごはん攻撃を早朝6、7時に受けるため、ついつい二度寝してしまう始末なのであった。
今日は昼下がりから十日恵比寿へ。1年ぶりぐらいに着物を着たせいか、なんだか胸元の部分が緩んでしまい着こなし具合はいまいちだったが、桃色をした小手毬柄の着物に半幅帯、うさぎ柄の黒足袋を合わせて。街着な感じでカジュアルに着る着物は楽しい。なかなか気分転換できた。
当の十日恵比寿はというと、初日で祝日だったからか境内に続く道は20〜30mほど参拝のための列を成しており、寒空の下20分ほど待っただろうか。風はとても冷たかったけれど、出店を物色しながらだったので苦にはならず。都合のいいお参りをして、恵比寿銭を買い、みくじをひく。
今年2回目の、大吉。「朝日かげ たださす庭の松が枝に 千代よぶ鶴の こえののどけさ」。天の御助を受け諸々の災い去りて喜びあり。心を正直に行いを慎み貧者を慈しみ弱きを助け信心怠りなければ、益々思うままになります。
ふむふむ。正月、日田に帰って引いた最初のみくじには、「龍が舞い上がる〜」というような素晴らしい文句が記されてあったことだし、今年は飛躍の年になれるかな。
と、ここで最後の一文。“色に溺れ酒に狂えば凶なり”。色は置いとくとして、さ、酒に狂えば…か。
神さま、心して精進します。
写真は、昨年鹿児島の取材終わりにぶらついた天文館の歓楽街にて、ご出勤風景。着物つながり…?
07
Jan |
キリリ。
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明けて早7日。昨日は暴風警報が発せられ、我が家の薄ガラスはいきり立ったようにガタガタと音を立てていた。取り急ぎの仕事は済ませたものの、いまのうちにインタビュー数本のテープ起こしなどをやっておかねば…と思いつつも、届いた年賀状の返信を寒中見舞いという形で書く。1月はおそらくそんなに慌ただしいスケジュールではないようなので、私事のほうを大まかにでも進めよう。
久しぶりに、窓辺にいたソラの写真をパチリ。以前から一回り大きくなったと親子ともども噂されていたのだが、我が子ソラの体重は…な、なんと去年の6キロから7キロに増量。さすがにアマアマな飼い主であった自分を反省し、これは何としても2月の健診までに少しでも減量を、と誓う。ついでというか、お母さん(わたし)も…誓う。
明日は、友人と昨年の古銭を返しに十日恵比寿へ。気分が乗れば、着物で出かけてみようか。
そしてそして…遅ればせながら、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
04
Jan |
ありがとう、と。
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2007年元旦、いつものように、いつもに感謝しながらソラと帰省。
新しい年を迎えたのと同時に、知人の死という哀しい知らせが届いた。翌日はいったん福岡へ戻って、お別れへ。
その人は、わたしがある事務所を飛び出して、フリーになると決めてすぐの不安な時期に、初めての仕事を紹介してくれた人で、その後もお世話になりっぱなしだった。アシスタント時代に知り合った頃よりも、独立した頃から同じ目線で人生のいろんな話ができるようになった気がする。恥ずかしがり屋で読書が好きで、いつでも理性的に物事を処理し、物静かな男性だった。素っ気ないとかぶっきらぼうとか周りからはよくからかわれていたけれど、本当は朴訥で優しい、徳のある人だった。病に冒されたと知った時から、連絡を取ったのは数回の電話とお見舞いで訪れた1度だけ。その時にも感情的な面は努めて感じられず、ふりかかった不慮の出来事を前向きに受け止めて乗り越えようとしていた。43歳という若さで逝ってしまったその人の、結局、力にはほとんどなれなかった。
今感じることは、人はいつか、そしてわたしはいつか、やはり死んでしまうのだというとてつもない現実感だ。早いか遅いかはわからない。そのいつかを知るのと知らないのとでは、一日を過ごすのにも大きな差があるけれど、これまでほとんど身近にいる親しい人というものを亡くした経験のないわたしが、今を迎えて思うのは、生かされている中で、自分ができること、やりたいことを全うすることがどれだけできるのか。そして、わたしはわたしを知るこの世界に残った人達にどんな思い出を落としていくのか、ということだ。
お通夜には、たくさんの人が訪れて、Yさんが大好きだったビートルズの曲が流れてたな。顔を見て、さよならすることができてよかったな。ただ、伝えたいことは山ほどあったのに、言えたのは「ありがとう」という言葉にならない言葉だけだった。
「仏教では、生と死は一つであり、死を穢れとすることはない。葬儀は、愛別離苦を真正面から受け止め、我が身を見つめ直す厳粛な儀式」と、清め塩を廃止するしおりに書かれてあった。その通りだと心から思う。
知らせを聞いた時から、朝起きた瞬間、何気ない時々、日に幾度も思い出は甦る。明日からまた少しずつ前に進んでいく中で、Yさんがわたしにくれた思い出や言葉を忘れないように、今ある日々の意味を受け止め、生きてゆきたい。